曹洞宗永平寺イメージ

道元が開いた曹洞宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。


【もくじ】
・開祖
・教義
・経典
・本尊
・本山
・葬儀の特徴
・焼香の回数

 

開祖

日本曹洞宗の開祖は道元(1200~1253)です。ただし、太祖として瑩山(けいざん1268~1325)を敬い、道元とともに両祖と呼んでいます。
道元は内大臣源通親を父とし、摂政太政大臣藤原基房の娘を母として京都に生まれました。幼くして父と母を失い、13歳のとき延暦寺に入り、翌年に延暦寺戒壇で受戒し道元と名乗りました。天台教学を学ぶうちに、天台宗ではすべての人はもともと仏であると説くが、仏であるのになぜ修行を積まねばならないのかという疑問が解けず、山を下りました。臨済宗大本山建仁寺に移り、栄西(ようさい)の死後、その弟子の明全に師事して禅を学びます。
1223年、宋に渡り、中国曹洞宗の如浄のもとで禅を修得し、1227年に帰国。建仁寺に戻り「普勧坐禅儀」を著し、「坐禅こそ安楽の法門である」として禅の布教を始めました。道元は読経や念仏を否定し、他の仏教各宗派も排撃したため、天台宗や臨済宗の反発を招きました。
1243年、弟子達とともに越前(福井県)へ下り、翌年大仏寺(のちに永平寺と改称)を開山しました。ここを曹洞宗の根本道場として弟子の養成に尽力するとともに「正法眼蔵」などを著しました。道元は権力との結びつきを戒める師の訓戒を守り、鎌倉に寺を寄進するという北条時頼の申し出を断っています。
越前生まれの第4代の瑩山は永平寺や各地の寺で修行を重ねた後、能登(石川県)に永光寺と総持寺を開きました。瑩山は多くの優れた門人を育て教団の体制を整備し、また、禅を大衆化するなど、教団発展の基礎を築きました。「臨済将軍」「曹洞土民」といわれるように、曹洞宗はもっぱら地方領主や民衆の教化に努め、室町時代(1336~1573)、戦国時代にかけて飛躍的に教勢を拡大しました。総持寺は明治時代に横浜に移転し、永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山となっています。
 

教義

ただひたすら黙々と坐禅(只管打坐)することにより、己の仏性を見出そうとするものです。臨済宗の公案禅に対して、曹洞宗の禅は黙照禅と呼ばれます。

経典

臨済宗と同様に特定の経典は立てませんが、法要のときには「正法眼蔵」の一部を編集した「修証義」や「法華経」「金剛般若経」「般若心経」などが読まれます。

本尊

釈迦如来

本山(大本山)

永平寺/福井県永平寺町
総持寺/神奈川県横浜市

葬儀の特徴

鼓鈸三通(くはつさんつう)という鳴り物を鳴らす儀式があります。これは印磬(いんきん)という手に持つ金属製の仏具と、太鼓のような鼓(く)と呼ばれる仏具、それに鐃鉢(にょうはち)もしくは妙鉢(みょうばち)とよばれるシンバル状の仏具を打ち鳴らす作法となります。

焼香回数

2回
1回目は額に押しいただき、2回目はそのまま落とします。
※「押しいただく」とは、焼香の際に抹香をつまんで額へと近づける行為のことを言います