宗教のコラム一覧

お葬式の知識やマナー、宗派や喪主のこと、そして用語集など、知っておくべき情報をお届けします。ぜひご活用ください。

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2020年 01月 31日(金)

日蓮宗について

2023年12月19日更新。日蓮が開いた日蓮宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。     【もくじ】 ・開祖 ・教義 ・経典 ・本尊 ・本山 ・葬儀の特徴 ・焼香の回数     開祖 日蓮宗の開祖は日蓮(1222~1282)です。日蓮は安房国(現在の千葉県安房郡天津小湊町)の漁師の家に生まれました。12歳のとき同国の天台宗清澄寺に入り16歳で出家します。鎌倉、京都、比叡山、奈良などの諸寺で浄土教、天台教学、密教などを学び、この間に法華経こそ唯一の釈迦の正法であると確信するに至りました。1253年、32歳のとき清澄寺に帰り、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えれば成仏できるという自己の悟りを広め始めました。 日蓮は他宗を強く非難し、また折伏という布教方法をとったため、周囲から反感を買います。安房を追われ、1256年に鎌倉の松葉谷に草庵を構え布教を始めました。辻説法によって信者を集め、1260年には鎌倉幕府に「立正安国論」を提出して法華経に帰依するよう迫りました。ここでも他宗の反発を受け、同じ年に念仏宗の信徒らに草庵を焼き討ちされます。日蓮は下総に逃れますが、翌年鎌倉に戻ったところを幕府に捕らえられ、伊東に流されました。63年に赦免されますが、64年には故郷安房で襲撃を受け、1271年には再び幕府に捕らえられ処刑は免れましたが、佐渡島に流されました。 1274年に赦免され鎌倉に戻り、同年甲斐国の身延山麓の草庵に移り住みます。1282年に入寂するまでの9年間、ここで弟子の育成や著作に務めました。 日蓮の死後、日蓮宗は弟子達により各地に布教され発展しましたが、日蓮正宗、法華宗などが派生し、16世紀半ばまで分派化が進みました。1941年に法華宗と日蓮宗に統合されましたが、戦後再び各宗派に分かれました。   教義 法華経こそ仏の最高の教えであり、仏に帰依して「南無妙法蓮華経」と題目を唱えれば誰でも救われるとします。また、個人だけでなく社会や国全体も救済されるとしています。 経典 「法華経」を根本経典とします。 本尊 釈迦如来ですが、一般に「南無妙法蓮華経」の文字のまわりに諸仏の名前を書いた大曼荼羅を本尊とします。 本山 身延山久遠寺(山梨県身延町) 葬儀の特徴 開棺・引導という日蓮宗独自の儀式があります。これは故人の魂を仏様と引き合わせる儀式です。僧侶が中啓(ちゅうけい)という扇型の仏具で棺を軽く3回叩き、払子(ほっす)という仏具を3回振り、焼香した後に引導文を読み上げます。 焼香の回数 導師は3回一般参列者は1回

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2020年 01月 28日(火)

曹洞宗について

2023年12月19日更新。道元が開いた曹洞宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。     【もくじ】 ・開祖 ・教義 ・経典 ・本尊 ・本山 ・葬儀の特徴 ・焼香の回数     開祖 日本曹洞宗の開祖は道元(1200~1253)です。ただし、太祖として瑩山(けいざん1268~1325)を敬い、道元とともに両祖と呼んでいます。 道元は内大臣源通親を父とし、摂政太政大臣藤原基房の娘を母として京都に生まれました。幼くして父と母を失い、13歳のとき延暦寺に入り、翌年に延暦寺戒壇で受戒し道元と名乗りました。天台教学を学ぶうちに、天台宗ではすべての人はもともと仏であると説くが、仏であるのになぜ修行を積まねばならないのかという疑問が解けず、山を下りました。臨済宗大本山建仁寺に移り、栄西(ようさい)の死後、その弟子の明全に師事して禅を学びます。 1223年、宋に渡り、中国曹洞宗の如浄のもとで禅を修得し、1227年に帰国。建仁寺に戻り「普勧坐禅儀」を著し、「坐禅こそ安楽の法門である」として禅の布教を始めました。道元は読経や念仏を否定し、他の仏教各宗派も排撃したため、天台宗や臨済宗の反発を招きました。 1243年、弟子達とともに越前(福井県)へ下り、翌年大仏寺(のちに永平寺と改称)を開山しました。ここを曹洞宗の根本道場として弟子の養成に尽力するとともに「正法眼蔵」などを著しました。道元は権力との結びつきを戒める師の訓戒を守り、鎌倉に寺を寄進するという北条時頼の申し出を断っています。 越前生まれの第4代の瑩山は永平寺や各地の寺で修行を重ねた後、能登(石川県)に永光寺と総持寺を開きました。瑩山は多くの優れた門人を育て教団の体制を整備し、また、禅を大衆化するなど、教団発展の基礎を築きました。「臨済将軍」「曹洞土民」といわれるように、曹洞宗はもっぱら地方領主や民衆の教化に努め、室町時代(1336~1573)、戦国時代にかけて飛躍的に教勢を拡大しました。総持寺は明治時代に横浜に移転し、永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山となっています。   教義 ただひたすら黙々と坐禅(只管打坐)することにより、己の仏性を見出そうとするものです。臨済宗の公案禅に対して、曹洞宗の禅は黙照禅と呼ばれます。 経典 臨済宗と同様に特定の経典は立てませんが、法要のときには「正法眼蔵」の一部を編集した「修証義」や「法華経」「金剛般若経」「般若心経」などが読まれます。 本尊 釈迦如来 本山(大本山) 永平寺/福井県永平寺町総持寺/神奈川県横浜市 葬儀の特徴 鼓鈸三通(くはつさんつう)という鳴り物を鳴らす儀式があります。これは印磬(いんきん)という手に持つ金属製の仏具と、太鼓のような鼓(く)と呼ばれる仏具、それに鐃鉢(にょうはち)もしくは妙鉢(みょうばち)とよばれるシンバル状の仏具を打ち鳴らす作法となります。 焼香回数 2回1回目は額に押しいただき、2回目はそのまま落とします。※「押しいただく」とは、焼香の際に抹香をつまんで額へと近づける行為のことを言います

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2020年 01月 28日(火)

臨済宗について

2023年12月19日更新。栄西が開いた臨済宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。     【もくじ】 ・開祖 ・教義 ・経典 ・本尊 ・本山 ・葬儀の特徴 ・焼香の回数     開祖 日本臨済宗の開祖は栄西(ようさい1141~1215)です。栄西は備中吉備津(岡山市)で神主の子として生まれました。11歳で出家して13歳のとき比叡山に登り、天台教学、主に密教を学びました。1168年、宋に渡り天台の典籍を持ち帰りました。 1187年、47歳のとき再び宋に渡ります。このときは臨済宗の禅を学び、1191年に帰国しました。臨済宗は中国唐代の高僧 臨済義玄(ぎげん)を開祖とする禅宗の一宗派で、「公案禅」という師弟の問答を通じて悟りの道を目指すものです。栄西は九州各地で禅の布教を行い、1195年に博多に日本最初の禅寺、聖福寺を建立しました。 栄西の禅は天台宗の批判を受けますが、それに対し栄西は「興禅護国論」を著し、禅は鎮護国家や天台宗の興隆につながるものであると出張しました。しかし京都での布教は難しく、鎌倉に向かいます。栄西は密教僧として鎌倉幕府の庇護を受け、1200年に鎌倉の寿福寺、1202年に京都建仁寺の開山として迎えられました。栄西は天台・真言・禅(円・密・禅)三宗兼学の学僧を育て、1215年75歳で入寂しました。   教義 坐禅を通じて自分の心を見極めることにより、仏の悟りを自己の体験としてつかみとること(直指人心・見性成仏)を目的とします。また、仏の教えの真髄は言葉だけでは得られず(不立文字)、直接的な体験によってのみ伝承される(教外別伝)としています。 臨済宗では公案禅(看話禅)、すなわち、与えられた課題(公案)の解決・解答を思索する修行によって悟りに至ろうとするものです。また、日常生活も坐禅であると考え、義玄以来、厳しい修行を行うのも一つの特徴となっています。 経典 禅宗では「不立文字」「教外別伝」を基本としていますので、特定の経典を定めませんが、「金剛般若経」「般若心経」「観音経」「大悲呪」などを読誦します。 本尊 釈迦如来 本山 臨済宗は主に14派に分かれています。以下は各派の本山です。 建仁寺派 建仁寺/京都市東山区 東福寺派 東福寺/京都市東山区 建長寺派 建長寺/神奈川県鎌倉市 円覚寺派 円覚寺/神奈川県鎌倉市 南禅寺派 南禅寺/京都市左京区 国泰寺派 国泰寺/富山県高岡市 大徳寺派 大徳寺/京都市北区 妙心寺派 妙心寺/京都市右京区 天龍寺派 天龍寺/京都市右京区 永源寺派 永源寺/滋賀県東近江市 向嶽寺派 向嶽寺/山梨県甲州市 相国寺派 相国寺/京都市上京区 方広寺派 方広寺/静岡県浜松市 佛通寺派 佛通寺/広島県三原市 葬儀の特徴 引導法語といい、導師によって故人を浄土へ送る法語が唱えられます。その際、導師から大きな声で「喝!」と発せられるのが特徴と言えるでしょう。 焼香の回数 1回 ※押しいただかない「押しいただく」とは、焼香の際に抹香をつまんで額へと近づける行為のことを言います。臨済宗は焼香の際、押しいただかないので、抹香を指でつまみ、そのまま香炉へ落とします。

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2020年 01月 28日(火)

真言宗について

2023年12月19日更新。空海が開いた真言宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。     【もくじ】 ・開祖 ・教義 ・経典 ・本尊 ・本山 ・葬儀の特徴 ・焼香の回数     開祖 真言宗の開祖は空海(774~835)です。空海は讃岐の国、現在の香川県善通寺市に生まれました。18歳の時に大学に入り儒教などの学問を学びましたが、一人の僧侶との出会いをきっかけに仏門を志し、四国各地の山岳で修行に励み、さらに奈良の諸寺で仏教を学びました。 804年、遣唐使の一員として唐に渡り、当時の都、長安で青龍寺の恵果から密教を学びました。806年に帰国し、東寺(教王護国寺)、高野山などを根拠地に「大日経」「金剛頂経」に基づく密教を発展させ、真言宗を開きました。弟子の育成に努めるとともに「十住心論」「即身成仏義」など多数の著作をなし、真言宗の教学を確立しました。真言密教は、天台宗の密教「台密」に対して「東密」と呼ばれます。 空海は詩文家、書家としても有名ですが、日本最初の一般庶民のための教育機関、綜芸種智院を開設し、仏教・道教・儒教による教育を行うなど教育者としても大きな業績を残しました。また讃岐国の満濃池などの灌漑池修築・工営など社会事業も行っています。空海はのちに醍醐天皇(885~930)より、弘法大師と謚されました。   教義 真言宗では、釈尊が説き顕した顕教ではなく、宇宙の根源的存在である大日如来が説いた教え、すなわち密教を典拠とします。この世のあらゆるものが大日如来であり、私達自身も大日如来にほかならないとします。大日如来と一体になるには、修行を通じて感性を高めていかねばなりません。身体の運動(身)・言語活動(口)・心作用(意)という人間の活動において、手に印契を結び、口に真言を唱え、心を鎮めて三昧の境地に入ること(三密行)により、行者は大日如来と一体になることができる、すなわち現世における成仏(即身成仏)が可能となると説きます。従来の仏教では、成仏するためには何度も生まれ変わらねばならないほど長期間の修行が必要であると考えられていました。   経典 「大日経」「金剛頂経」を依りどころとします。曼荼羅は仏の悟りの境地を表現したもので、大日如来を中心に多くの諸仏や菩薩が描かれ、修法に用いられるとともに信仰の対象とされてきました。 大日経に依拠してつくられたものを「胎蔵界曼荼羅」、金剛頂経に依拠してつくられたものを「金剛界曼荼羅」といい、前者は大日如来を中心とする宇宙を、後者は悟りに至る道程を描いています。この二つは一対で両界曼荼羅と呼ばれ、密教的世界感を表しています。密教において最も重要な根本曼荼羅として位置づけられています。   本尊 本尊は大日如来です。ただし、大日如来のほかに具現仏として薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、不動明王など曼荼羅に描かれている諸仏諸菩薩が祀られていることがあります。   本山 各派の本山(主要16派/順不同) 高野山(こうやさん)真言宗金剛峰寺(こんごうぶじ)/和歌山県高野町 東寺(とうじ)真言宗教王護国寺/京都市南区 真言宗善通寺派(ぜんつうじは)善通寺/香川県善通寺市 真言宗醍醐派(だいごは)醍醐寺/京都市伏見区 真言宗御室派(おむろは)仁和寺(にんなじ)/京都市左京区 真言宗大覚寺派(だいかくじは)大覚寺/京都市右京区 真言宗泉涌寺派(せんにゅうじは)泉涌寺/京都市東山区 真言宗山階派(やましなは)勸修寺(かじゅうじ)/京都市山科区 信貴山(しぎさん)真言宗朝護孫子寺(ちょうごそんじ)(信貴山寺/しぎさんじ)/奈良県平群町 真言宗中山寺派(なかやまでらは)中山寺/兵庫県宝塚市 真言三宝宗(しんごんさんぽうしゅう)清澄寺(せいちょうじ)/兵庫県宝塚市 真言宗須磨寺派(すまでらは)須磨寺/兵庫県神戸市 新義(しんぎ)真言宗根来寺(ねごろじ)/和歌山県岩出市 真言宗豊山派(ぶざんは)長谷寺(はせでら)/奈良県桜井市 真言宗智山派(ちさんは)智積院(ちしゃくいん)/京都市東山区 真言律宗(しんごんりつしゅう)西大寺(さいだいじ)/奈良県奈良市   葬儀の特徴 葬儀の最初に洒水(しゃすい)と言う、場所を清める作法があります。また、葬儀の中では光明真言(こうみょうしんごん)というお経が読まれますが、これはすべてのわざわいを取り除くことができると言われています。   焼香回数 3回

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2020年 01月 27日(月)

天台宗について

2023年12月19日更新。最澄が開いた天台宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。     【もくじ】 ・開祖 ・教義 ・経典 ・本尊 ・本山 ・葬儀の特徴 ・焼香の回数     開祖 天台宗の開祖は最澄(さいちょう)(767~822)です。近江の国、現在の滋賀県大津市に生まれました。天台宗は元来中国天台大師智顗(ちぎ)(538~597)によって法華経を根本経典として大成された宗派です。 804年最澄が唐に留学し、多くの師から天台教学や密教、禅、大乗戒を学び、翌年に帰国。天台教学、真言密教、達磨禅宗、大乗菩薩戒の4種(円、密、禅、戒)を融合して独自の教理を築き、総合仏教的な性格を持つ日本天台宗を開きました。 それまでの仏教は天皇を中心とする国家の安泰を祈願する護国仏教であり、僧侶になるには天皇の許可が必要でした。中国から来朝した鑑真(がんじん)(688~763)により754年に授戒制が移入され、授戒儀礼を受けた者のみが一人前の僧侶とみなされました。授戒儀礼を行う戒壇は東大寺ほか3カ所ありましたが、最澄は「四分律」に基づく東大寺での授戒を小乗的であると批判し、「梵網経」に基づく大乗戒壇設立を目指しました。僧の修道規範を定めた「山家学生式」を朝廷に提出し戒壇新設を申請しましたが、比叡山に大乗戒壇設立が認められたのは822年、最澄の没後のことでした。 総合仏教的性格を持つ日本天台宗は、鎌倉新仏教の開祖が輩出する母胎となりました。最澄はのちに清和天皇(850~880)から伝教大師と諡されました。   教義 法華経にすべての仏教が統一されるという法華一乗思想を軸に、この世に生きているすべてのものにことごとく仏性が備わっており、十界に生きる者は皆、成仏できると説きます(本学思想)。円、密、禅、戒の実践を通じて皆成仏の実現を目指します。 経典 「法華経」を基本経典とし、「阿弥陀経」「大日経」「梵網菩薩戒経」なども聖典とします。 本尊 本尊は法華経に説かれている久遠の昔に成仏した釈尊、すなわち久遠実成の釈迦如来です。また、歴史上の釈尊は「久遠実成の釈迦如来」の仮の姿であるとしていますので、諸仏諸尊も姿を変えて現れた仏として等しく尊信します。 本山 比叡山延暦寺(滋賀県大津市) 葬儀の特徴 葬儀の中で引導を渡し、下炬文(あこもん)とい故人の遺徳をたたえる文言を唱えます。散華といって蓮の花びらに見立てた紙を柩などにまく儀式があります。これは、蓮の香りにより悪いものを払うと考えられているためです。 焼香回数 1~3回 ※特に決まりはありません

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2020年 01月 31日(金)

浄土宗について

2023年12月19日更新。法然が開いた浄土宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。     【もくじ】 ・開祖 ・教義 ・経典 ・本尊 ・本山 ・葬儀の特徴 ・焼香の回数     開祖 浄土宗の開祖は法然(1133~1212)です。美作国、現在の岡山県久米南町に生まれました。13歳のとき比叡山に登り、天台教学などを学びました。15歳で出家し、延暦寺戒壇で受戒しています。しかし、教学を学べず戒律を守ることができない民衆を救うことができない仏教の現状に疑問を抱いていました。1175年、43歳のとき、中国の浄土教大成者善導の「観無量寿経疏」の一節に出会ったのをきっかけに、一心に「南無阿弥陀仏」と唱えること(専修念仏)によって誰でも阿弥陀仏からの救いが得られることを確信しました。 法然は京都東山の吉水で浄土宗を開宗しました。しかし、開宗に際して天皇の許可を得ておらず、さらに経典の理解、修行や戒律の必要性を否定したことや、人間の宗教的能力の平等を説き、民衆から貴族まで僧俗男女を問わず信者が集まり教団が急速に発展したことなどから、従来の仏教勢力や朝廷から弾圧を受けることになります。 1207年、延暦寺や興福寺からの訴えにより専修念仏禁止の命令が下り、言動の過激な門弟は死刑や流罪に、法然自身も土佐へ流罪に処せられました。1211年に赦免され京都に戻りましたが、翌年80歳の生涯を閉じました。   教義 専修念仏、すなわち「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることにより、阿弥陀如来がいる極楽浄土に必ず往生できると説いています。一切衆生に仏性が備わっているという本学思想と、専修念仏という方法で成仏できるとしたところに浄土教の特徴があります。 経典 浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経) 本尊 阿弥陀仏 本山 浄土宗 智恩院(京都市) 浄土宗西山派 光明寺(京都府長岡京市) 葬儀の特徴 下炬・引導の後に念仏回向をして極楽へ送るのが浄土宗の特色です。浄土宗における念仏は、南無阿弥陀仏と口の動きで称えることにあるといいます。 焼香回数 特に決まりはありません。

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2020年 01月 31日(金)

浄土真宗について

2023年12月19日更新。親鸞が開いた浄土真宗について、教義や葬儀の特徴などを簡単にご紹介します。     【もくじ】 ・開祖 ・教義 ・経典 ・本尊 ・本山 ・葬儀の特徴 ・焼香の回数     開祖 浄土真宗の開祖は親鸞(しんらん1173~1262)です。親鸞は京都の下級貴族の出身であるといわれています。9歳のとき出家、20年間比叡山延暦寺の官僧として修行しましたが、1201年、29歳のとき比叡山を下りて法然の門下に入りました。 1207年、浄土教団に専修念仏停止の命令が下された際の弾圧で、親鸞は越後(新潟県)に配流されました。1211年に赦免された後、1214年に妻の恵信尼(えしんに)とともに常陸(茨城県)に移り、20年間関東各地で布教活動を行い多くの弟子を育てました。親鸞は終生法然の忠実な弟子として意識していましたが、浄土真宗の根本聖典である「教行信証」の初稿本を著した1224年を、浄土真宗開宗の年としています。 1232年頃京都に帰り、1262年90歳で没するまで、「教行信証」を完成させるなど執筆活動中心の生活を送りました。親鸞の遺骨と影像を安置した廟堂は娘の覚信尼(かくしんに)の子孫に相続され、本願寺と名づけられました。8代蓮如のときに大きく発展し、大教団の基礎がつくられました。 教義 法然は専修念仏説を唱えましたが、親鸞は念仏を唱えなくても阿弥陀仏を信じるだけで極楽浄土へ往生できると説き、念仏も信心もそれ自体阿弥陀仏の本願力という他力によるものであるという絶対他力の立場をとりました。さらに、往生すればそのまま悟りの世界に至ると考えました。また、親鸞は肉食妻帯も仏道を妨げるものではないとし、自ら妻帯していますが、この肉食妻帯と非僧非俗を柱とする在家主義は明治以降ほとんどの宗派に取り入れられ、日本仏教の特徴となっています。 経典 親鸞の「教行信証」と浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)を根本聖典とします。 本尊  本尊は阿弥陀如来です。 本山 浄土真宗にはたくさんの宗派が有ります。そのなかで真宗十派といわれる宗派を以下に記載します。 浄土真宗本願寺派本願寺(西本願寺)/京都市下京区 真宗大谷派真宗本廟(東本願寺)/京都市下京区 真宗高田派専修寺(せんじゅじ)/三重県津市 真宗仏光寺派仏光寺/京都市下京区 真宗興正派興正寺/京都市下京区 真宗木辺派(きべは)錦織寺(きんしょくじ)/滋賀県野洲市 真宗出雲路派(いずもじは)毫攝寺(ごうしょうじ)/福井県越前市 真宗誠照寺派誠照寺(じょうしょうじ)/福井県鯖江市 真宗三門徒派(さんもんとは)専照寺(せんしょうじ)/福井県福井市 真宗山元派(やまもとは)證誠寺(しょうじょうじ)/福井県鯖江市 葬儀の特徴 浄土真宗では往生即成仏といい、亡くなるとすぐに仏になるとされており、多宗派で言われる旅支度や守り刀などは不要とされています。また、死を穢れと捉えないためお清めの塩も使いません。 焼香回数 代表的な宗派を記載します。 浄土真宗本願寺派(お西)押しいただかずに1回真宗大谷派(お東)押しいただかずに2回   「押しいただく」とは、焼香の際に抹香をつまんで額へと近づける行為のことを言います。浄土真宗は焼香の際、押しいただかないので、抹香を指でつまみ、そのまま香炉へ落とします。

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